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吉田 利康(鉄郎)さん

[写真:吉田 利康(鉄郎)さん]

「心のケアって誰のもの?~医療に心のケアをまかせるな~」第11回ホスピス在宅ケア研究会での吉田さんの講演名は、医療者から見てどきっとするものでした。4年前に看護師であった奥様を白血病で亡くされた吉田さん。辛い時期を支えたのは、発病のころ情報収集のために始めたインターネットでした。自分と同じ立場にいる大勢の人の声援と助言が、何よりの支えだったのです。ネット上での吉田さんのハンドルネームは「鉄郎」。遺族となった今も彼は「鉄郎」として、かつての自分のように悩み、苦しんでいる患者さんやその家族の心の支えとなり続けています。

鉄郎さん(以下、敬称略):
この講演会では一市民の立場として、遺族である私と、インターネット上で出会った同じように遺族である真崎さんという方と二人で、タイトルのように思うに至った経験や、闘病生活を支えていて感じたことなどをお話しました。司会進行は、在宅緩和ケアをされている開業医の桜井隆医師がされました。
岩本:
このタイトル、看護師としてはかなり気になります。医療者の中でも特に看護師は「心のケアは自分たちがしている」という自負が少なからずありますから。
鉄郎:
司会の桜井医師は、「医療者に期待しすぎてはいけない」と言っています。私もそう思います。医療者だけでは出来ないと思うんですよ。心理士であったり、牧師や住職である人が、突然末期になって「あなたの悩みを聞きましょう。私が心理的なケアをします。」と病室を訪れても、心から悩みや不安なんて語れますか?何十年も連れ添っていても相手の本音は理解できないのに、末期の関わりの中だけで、その患者独自の感じ方や考え方を理解して、本当に本人が望む形で、共感したり不安を緩和したり出来ると思いますか?
岩本:
正直に言いますと、確かに出来ないと思います。だから看護師も悩むのでしょうね。悩んでいる患者に心を開いてもらえない。支えることが出来ない。相手が本当は何を望んでいるのか分からない。心のケアのプロがやればもっとうまく出来るのではないか。私にスキルが足りないのではないか。と悩んで、バーンアウトしていく看護師が多いのです。
鉄郎:
そこが問題なんですよ。では、プロなら出来るのか?やっぱり、プロというだけではだめなんだと思うんです。僕が妻と闘病していた時、一番強く感じたことは、「患者の気持ちは患者本人でないと分からない」ということです。患者を理解することは出来ない。でも、患者に寄り添うことは出来る。今まで相手が何を考え、どんな経験をしてきたのか。生や死についてどう考えているのか。そんなことを踏まえて、一番側に寄り添えるのは、家族しかいないと思います。家族だからこそできる心のケアがある。それを忘れてはいけないと思います。

吉田さんの奥様は、1年7ヶ月の闘病期間中に4度入退院を繰り返しました。そして、亡くなる約2週間前に最後の退院をし、自宅療養に切り替えました。急性骨髄性白血病という、末期の病状が不安定な疾患では非常に珍しい、自宅で、家族の手探りによる緩和ケアが行われたのでした。

鉄郎:
入院生活は、やはり辛いものでした。食事は、口内炎のひどい妻には食べられるものはなく、体力が落ちていくのを手をこまねいて見ているような気分でした。また、患者の数に比べて、トイレの数が少なかったために、重度の痔になっていた妻は、大変苦労したようです。退院後、妻のかばんの底から、便で汚れたパンツを見つけた時には怒りを覚えました。トイレに間に合わず、汚してしまった下着を誰にも言えずに隠しておいたのでしょう。その時の彼女の気持ちを思うと・・・この便利な世の中で病院に入院していたのに、なぜこんな目に遭わなければいけないのか。悔しい気持ちでいっぱいです。
岩本:
白血病での自宅療養という医学的には大変な経験をなさったわけですが、奥様の反応はいかがでしたか?
鉄郎:
妻はもちろん喜んでいましたが、それ以上にまず子供たちが喜びました。子供は、高校生と大学生の二人の男の子なのですが、母親が入院中には、なかなか病院に行きませんでした。後から聞いて知ったのですが、子供たちは、病院に母親を取られたと思っていたようです。その母親が家に帰ってきたのですから、よっぽど嬉しかったのでしょう。下の子は学校から帰ってくるとすぐに、母親が疲れを顔に見せるまで、何時間でも話をしていました。上の子も、母親を車椅子に乗せて外来に受診させたり、とにかく家の中が明るくなりましたね。家族みんなが揃って日常を送れる。そんな当たり前のことが大切なんだと心から感じました。
岩本:
自宅でどうしようもなく困ってしまったことはありませんでしたか?
鉄郎:
ありましたよ。でも、それは病院に行ったからといって解決するものではありませんでした。抗がん剤の副作用で、口内炎がひどくて何も食べられなくなってしまったとき、体力がないのにわざわざ口腔外科まで受診しに行ったのですが、結局、医師も何も出来ませんでした。医師はわざわざ受診した私たちに向かって「なぜ何も出来ないのか。」という説明をやっきになってしていました。結局、今までお世話になっていた外来の看護師が他から情報を仕入れてくれて、カロリーメートのような栄養のあるドリンクを見つけてきてくれました。医師は何も出来ないのなら、せめて車椅子を押して見送るといったことはできなかったのでしょうか。「医療では解決出来ない」という答え以外の何かを患者は求めているのだと思います。また、後から知ったのですが、口内炎の人用に高カロリーで食べやすい食事のレシピを考えた看護師もいるそうです。料理人といわれる人達が、こういう分野でも活躍してくれたらどんなに良いでしょう。

妻との闘病の中で、現代の医療について、患者のきもちについて、今まで見えなかったものが見えてくるようになった鉄郎さん。現在は、TSCSSという肩書きで患者さんのための活動をしています。

岩本:
遺族としてケアを行っていく中で、御自身が辛くなることはありませんか。
鉄郎:
私は妻が死んで、悲しみで奈落の底に叩き落されたような気持ちでしたが、その悲しみから自分を引き上げてくれたのも同じ悲しみだったのです。何もする気が起こらないようになってしまった自分でも、他人の悲しみには反応することが出来たんです。インターネット上で「もう治癒は見込まれない」と告げられた患者さんの家族が、辛い気持ちやどうしたら良いのか分からない。という悲しいメールを出しているのを見ると、不思議と心が動き返事をしていました。その返事を、相手の方はとても喜んでくれました。妻の苦しみが誰かの役に立った。他人の孤独感を癒すことが出来たのです。その時、私はとても近くに妻を感じることが出来ました。妻を忘れたくないから、同じ立場だった人に自分の体験を伝えたい。そんな気持ちに支えられて、遺族としてケアを続けています。
岩本:
亡くなるという不吉な未来を思い起こさせるから、遺族に話をしてもらいたくない。また、遺族には患者の気持ちが分からない。と言われる事もあると聞きましたが、それについてはどう思われますか?
鉄郎:
そういう時には、その方とお話をすることはもちろん避けます。しかし、ひとつのコミュニティの中に遺族がいてはいけないという考え方はどうかと思います。死は、誰の上にも訪れるものです。それを避けていては、最後の日まで精一杯生きることは出来ないのではないでしょうか。患者さんの周囲にいる人は、それぞれの立場で患者さんを理解しようと努力する。そして、そこから自分の立場にあったアプローチをしていく。その中には、医療者も家族も友人も、そして遺族もいて当たり前。それが、皆で患者さんを支え、皆で患者さんに寄り添うということではないでしょうか。それでも、患者の本当の気持ちは分からない。分からないから寄り添い続ける。それが大切なのだと思います。痛みや苦しみで眠れない夜、側にいて、さすってあげることしか出来ない。さすっても、がんの末期の痛みはもちろん軽くなるわけではありません。でも、なぜか患者は安心して眠りにつくことが出来るのです。患者さんのために何が正しいのか分からない中で、何か大きな力に導かれて行う患者さんのための心からのケア、私はそれをスピリチュアルケアと呼ぶのだと思います。

奥様は、「もしもこの病気が良くなるのなら、同じ病気と闘っている人の話し相手になりたい」と言っていたそうです。患者さんの側に寄り添い続けること。このようなケアが、家族や医療者だけではなく、いろいろな人の手で行われていくことが理想だと、この言葉は語っているように思います。その言葉の通り、鉄郎さんはこれからも、必要とされる誰かの側に寄り添い続けることでしょう。

紹介本

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[表紙:先生・・・すまんけどなあ・・・]
桜井 隆著
株式会社エピック
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小沢牧子著
洋泉社
米国ホスピスのすべて(Amazon.co.jpへ)
[表紙:米国ホスピスのすべて]
服部洋一著
ミネルヴァ書房