現在地

ホーム>楽患な人々>内田スミスあゆみさん

内田スミスあゆみさん

[写真:内田スミスあゆみさん]

「28歳の誕生日をわたしは病室で迎えた」内田さん自身が書いた闘病記の帯には、こんな言葉が書かれていた。「闘病記を書くことで心の癒しができた」と彼女が後書きに書いたこの本は、読む者に息苦しくなるほどの思いをこみ上げさせる。私は結局、この本を最後まで読むことは出来なかった。

内田さん(以下、敬称略):
外資系のキャリアウーマンだった私は、非常に忙しい仕事をしていました。1年以上続くひどい頭痛に悩まされていましたが、近医で風邪ではないかと言われたために薬を飲んでずっと我慢をしていました。ひどい症状を早く治して欲しいと思ってはいましたが、自分がひどい病気にかかっているとは思いませんでした。ある日、とうとう我慢が出来なくなり病院に行くと、脳腫瘍による水頭症だといわれ、すぐに手術、その後くも膜下出血なども起こし数度の手術を繰り返しました。体調が落ち着いてリハビリを始めたころは、医師や家族は命が助かってよかったと喜んでいましたが、自分自身は下半身麻痺で聴覚を失い、病人になったという現実がまったく受け入れられませんでした。「よかったね」と言われることが、この時期は一番つらかったです。でも家族には、これまで迷惑を掛けてきたことを考えると自分の気持ちは言えませんでした。それに、自分の気持ちを分かってもらえるとも思えませんでした。
岩本:
実は、私は内田さんの闘病記を最後まで読めませんでした。ご本人とご家族のお互いを思う気持ちがあまりにリアルでつらくなってしまって。その上、追い討ちをかけるようにいろいろなことが起こって・・・これが現実に起こったら、自分はどうなるのだろうと思うと、そのことから逃げたくなってしまい、読み進めるこが出来ないのです。でも内田さんは逃げられなかった。一体どうやって自分を支えていたのですか?
内田:
あの時私を支えてくれたのは、いろいろな人の闘病記でした。自分と同じ境遇の人、家族や病院からは治ったと言われていてもその実感が持てずに苦しんでいる人の闘病記を探して読みました。誰にも分かってもらえないだろうと思っていた気持ちがそこには書かれていて、救われたような気がしました。つらいと思ってもよい、現実から逃げたくなる人がほかにもいるのだということを確認しただけで、気持ちが楽になりました。だから逆にすごく成功した人、人並み以上に頑張った人の闘病記は、この時期は少しつらかったように思います。立ち直っていくには、その人その人のペースがあって、以前と変わってしまった自分を受け入れようと努力する、それだけでよいのだと思います。私が闘病記を読んで助けられたように…。こんな自分の経験も誰かと共有していくことができればうれしいのですが…。病気から8年たって、ようやくそう思えるようになりました。

病気をした時は、本人もつらいけど家族はもっとつらいと彼女は言う。そのつらさは「私は当事者でよかった」と思うほどだそうである。患者も家族もつらい。でもその気持ちをぶつけるところがどこにもない。そんな人たちの受け皿を作る必要性を彼女は強く感じている。

岩本:
闘病記以外の方法でも、自分の経験を誰かと共有することはできそうですね。何か具体的に考えていらっしゃることはありますか?
内田:
私は現在IT関連の仕事をしているので、インターネットを使って何かできないかと考えています。例えば、「病院にお見舞いに来てもらう時には、香水や化粧はこういう理由で控えて欲しい」など、入院した経験がある人でなければ分からないことで、かつ相手には直接言えない事を集めて発信していくことなどを考えています。また、患者中心の医療をサポートしているNPO法人に患者の側の意見を伝えたり、資料の翻訳を手伝ったりもしています。そんな一環で、以前日本人の医師にアメリカ人の患者の通訳をしたのですが、医療用語は難しく、その医師は英語も堪能でしたし、診療では役に立っていないかと思いました。しかし、意外なところで私の経験が役立ちました。それは、患者の気持ちや伝えたいことが医師にうまく伝わったことです。英語が話せるということだけでは伝わらないニュアンスや気持ちが、私を介したことで医師にうまく通じたようです。また、これは夢ですが、若い医療者の海外研修をサポートしたり、海外の医療スタッフと話し合いが出来る場を設けたりしたいです。
岩本:
内田さんは、仕事以外で女性としてのライフワークの大きな一つ、出産をつい最近体験されたばかりですね。大病をした後の出産は、正直言って不安ではありませんでしたか?
内田:
自分自身、十月十日子どもをおなかの中で育てられるだろうとは思っていませんでした。でも、主治医と家族の大きなサポートがあって乗り越えられたと思っています。妊娠が順調だったことも幸いでした。「あなたはもう大丈夫だ」と子どもからメッセージをもらった気がします。自分が世話をされ、大事にされる立場ではなく、世話をする立場になったことは、自分自身の病気を客観的に考えるきっかけになり、後ろ向きに生きるのではなく、次のステージへと押し出されていったような気がしています。

次のステージへ進んだように感じている彼女だが、今も気持ちは揺れ動く。「もう吹っ切れたと思える時もあれば、どうして私が?と思い悩むこともある。病気をしたことをプラスには思えない自分が確かにいる。でも、少なくとも病気になる以前よりは自分を好きなる事ができた。それで良いのではないかと思う」と彼女は言う。

岩本:
自分を好きになることが一番難しいのではないかと思うのですが、それができたのはどうしてでしょうか。
内田:
「何も悪いことをしていないのにどうして?」と手術の直後に書いた手紙を見て、家族も友人も非常に胸を痛めたようです。そこから、皆がその答えを探すことに必死になっていたように思います。普段は信じていない宗教に走った人もいました。その気持ちはとてもうれしかったのですが、私自身は宗教に答えを見つけることが出来ませんでした。そこで、この問いには答えがないのだと思ったのです。答えがないのなら、この問いに答えを求めるのはもう少し先延ばしにしようと思いました。今病床にいる人、病気の真っ只中にいる人は、自分自身や周囲への後悔と怒りの中でこの問いを続けていると思います。でも、そんな人に伝えたいのです。この問いの答えはすぐには出ないと。少しの間、この問いから離れることで、楽になれることを知って欲しいと思います。
岩本:
内田さんは、なぜその問いから離れることが出来たのでしょうか。
内田:
それは、リハビリテーションをしている時に言われた言葉がきっかけでした。「医療者は、患者さんが回復するお手伝いをしているだけ、歩けるようになるかならないかは、誰にも分からない。もし歩けるようになったとしたら、それは内田さん自身の力が引き出したことなのですよ」と言われたのです。内田さん自身の力だと言われて、人任せではなく、自分自身を信じようと思いました。自分の内面に目を向けることができた時、初めて後悔や怒りから抜け出せたように思います。でも、目を向けられない時期があって当然だということも知って欲しいと思います。そばにいる家族には、決して焦らなくていい、大丈夫だということを伝えたいですね。いつか必ず、病気になった本人は自分自身に目を向けられる時がくる。失ったものよりも今持っているものに目を向けられる。今持っている家族、友人、これから出会う人、時間に気づく時、生きているだけでよいと感じられるようになるのではないかと思います。
岩本:
「どうして私が?」という問いの答えは、もう求めていないのですか?
内田:
いいえ。どこかでまだ求めています。その答えを見つけるために、医療と関係を持ち続けていたい、何かをしたいと思っているのかもしれません。同じ経験をした誰かのために頑張ることは、自分自身の答えを見つけるための原動力なのかもしれません。
岩本:
宗教では受難があると「あなたは神に選ばれた。神はそれを乗り越えられる人にしか苦難を与えない」と言います。内田さんもそう思いますか?
内田:
何かつらいことがあった後、そこから立ち上がる強さは、人によって違うかも知れません。でも、自分が病気をしなかった時の人生というのもそれはそれでよかったのではないかとも思います。神でなければ、どちらの人生がどうだったのかということはわからないですものね。

歩けるようになるかどうかは彼女次第だと医療者は言った。そして彼女は、自分を信じることにした。今、少なくとも他者の目から見て、彼女は何不自由ない体に見える。迷いながら、後戻りしながら、彼女は病という体験を糧に次のステージへと進んでいく。

紹介本

東京タワーに灯がともる(Amazon.co.jpへ)
[表紙:東京タワーに灯がともる]
内田あゆみ著
新風社1997
車椅子のヒーロー(Amazon.co.jpへ)
[表紙:車椅子のヒーロー]
クリストファー・リーブ著
徳間書店