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ホスピスレポート

東京山谷地区の『きぼうのいえ』というホスピスをたずねた服部さん(東日本国際大学)からのレポートです。

東京山谷地区・「きぼうのいえ」を訪ねて 2004年2月12日

文責:服部洋一(楽患ねっと)

山谷に「きぼうのいえ」という、特別なホスピスがあります。

「きぼうのいえ」では、「福祉施設での在宅ホスピスケア」という、まったく新しいケアが実践されています。このような試みは、これからきっともっと注目を集め、目指されていくかたちになるでしょう。

「きぼうのいえ」は、病院ではありません。行政上の区分は、第二種福祉施設の宿泊所になります。この施設が特別なのは、21部屋の個室が、単なる建前ではなく、まさに言葉通りに入居者の「いえ」だということです。「きぼうのいえ」の入居者は、介護保険を使いながら、身体介護や食事のサービスを受けています。

「きぼうのいえ」の扉は誰にでも開かれています。しかし今のところは、ほとんどの入居者が生活保護を受けています。その6割には路上生活の経験があります。

2月の肌寒い朝。南千住の駅で見学に同行する二人と待ち合わせました。手のひらにのるほどのネズミが、銅色の毛並みを光らせながら、路上駐車のトラックのタイヤの陰に駆け込んでいきます。
泪橋交差点の陸橋をのぼりきると、冷たく張りつめた青空の底に沈むようにして、一面灰色の町並みが目前に開けました。
道なりに南へ少し歩きます。道路が広くて立派な分、その両脇に並ぶ食堂や雑貨屋の下りたままのシャッターが目につきます。

約束の10時よりも15分ばかり早くついてしまいました。「きぼうのいえ」は、ベージュの外壁に清潔感を漂わせながら、山谷の町並みにすっぽりと収まって見えました。場所が分かったので、時間を調整するため、少しだけ辺りを散歩することにしました。
時間帯も関係しているのだと思います。建物の出入り口や電信柱の陰に、人影がぽつぽつと、何をするともなく立っています。中年から初老にかけて、いずれも男性です。
あからさまに「よそ者」然としている私たちは、逆に恰好の観察対象となってしまいました。興味本位の失礼な探検の恥ずかしさが半分、そら恐ろしさが半分、私たちは早々にそぞろ歩きを切り上げました。

約束の5分前に到着すると、ちょうどデイサービスのバンが出て行くところでした。すれちがいざま、よそ行きの身なりを整えた入居者と見受けられる女性が送迎スタッフと笑顔で話すのがフロントガラス越しに見えました。
まだちょっと早いので申しわけなく思いながら、インターホンを鳴らそうとすると、半開きのドアの陰からすかさず私たちを見つけた女性スタッフが、明るい声をかけてくださいました。ほっとして、用向きをお伝えします。すぐに奥から施設長の山本雅一さんが現れて、にこやかに迎えてくださいました。

山本さんは、現在40歳。

最初に上智大学に入ったとき、志したのは哲学でした。ところが、もともと深く考え込む性格が災いしたのでしょうか、やがてノイローゼ気味になり、挫折を経験。しかし、縁というのは不思議なもので、そのとき運命的に出会ったキリスト教が、山本さんのその後の人生を大きく変えていくことになります。

28歳でもう一度上智大学を受験し、こんどは神学部に入りました。山本さんは、教会に閉じこもるのではなく、市井で実践家として活動することを選びます。

大学卒業をまたいで、国立がんセンターに日本マクドナルドハウスを創設することに尽力しました。その立ち上げが一段落した後、もう一度、自分がすべき仕事を探した山本さんは、山谷にたどりついたのです。山本さんは、山谷に暮らす人々に、自分自身の姿が映っているように感じたそうです。

持ち前の情熱と奥様のサポートに支えられ、文字通りに東奔西走の日々を重ねた山本さんは、寄付と銀行からの借入金、都合1億5千万円を投入して、2002年10月ついに「きぼうのいえ」の開設を果たしました。

最初に通して頂いたのは、玄関から真直ぐ進んだつきあたりにあるオフィス。入居者のためのビデオライブラリには、任侠ものをはじめとする、400巻以上のタイトルがずらりとならび、実に壮観でした。施設と見学の順序を簡単に説明して頂いたあと、エレベーターでまずは一気に3階建ての建物の屋上へと案内して頂きました。

天気は上々。屋上からは山谷の町並みが一望できます。地上を歩いている間はあまり意識しませんでしたが、高いところから見渡すと、細くて背の低いビルが林立していることに改めて気づきました。それが「どや」でした。
山谷には、大きくわけて3 種類の人が住んでいるそうです。まず、昔からこの地区に住んでいる人。浅草までたったの2キロ、タクシーでわずかワンメーターしか離れていないこの町に は、チャキチャキの「下町っこ」がたくさんいらっしゃるそうです。それから、180軒から200軒あるという、どやの経営者と従業員。そして、どやで暮らす人たち。

「どやに住んでる人の平均年齢は4年前の都の調査で59歳。ということは、今では63歳になるわけです。当然、稼動年齢は過ぎてます」
と、山本さん。どやの基本は三畳の個室、それに家庭風呂の三倍くらいの浴場と、共同トイレ。それがサービスのすべてです。風呂は朝5時から夜10時までで、もちろんお湯は汚れがち。衛生状態は軒並み悪く、ベッドはノミやシラミだらけということも、珍しくはありません……。
どやでの暮らしの大変さに胸を打たれました。同時に、何から何まで熟知している山本さんに、利用者に寄り添うことで支える、このホスピスの姿勢が伝わってくるように感じました。

[写真:山谷の町並み]
「きぼうのいえ」の屋上から見える山谷の町並み

どやに泊まっている人々の多くは、どやに住んでいます。住民票もどやに置いてあります。どやで暮らすのは、敷金や礼金が払えなかったり、大家さんに嫌がられたりして、「ふつうの住宅」が借りられない人たちがほとんどです。生活パターンが「ふつうの人」と合わないことも、よくあります。感情表現はえてしてストレート。いきなり人を殴りつけることもあります。そうかと思うと、こだわりなく、さっぱり忘れてしまう、そんなさばさばした気風もあるそうです。

日雇い労働者がどっとこの地域に流れ込んできたのは、高度成長期のころでした。

当時は、日雇い労働者をトラックに乗せて運び、仕事を斡旋する手配師と、そのピンはねを批判して「労働者を守れ」と叫ぶ全共闘関連団体、さらには警察の三つ巴のもと、「暴動の町」と呼ばれるほど荒っぽい地域だったそうです。

「山谷には、いまだに銀行がないんです。襲われるから」

山本さんは笑って話します。それでも、町は少しずつ変わりつつあります。

「ほら、あそことか、パラボラアンテナが立っている建物、あるでしょう。あれは、最近の傾向で、ビジネスホテル風にしてるんですよ」

まだ新しい壁を冬の陽に輝かせる、他より少しだけ背の高いビルを山本さんが指差します。山谷の町並みに新風を吹き込みつつあるこうしたエコノミーホテルは、一泊2800円くらい。どやは一泊1900円から2000円くらいですから、かなり割高です。しかも、部屋の広さは2畳から2畳半ほどと、やや狭くなります。それでも、地方からの上京者などを中心に、人気を集めているそうです。

どやで倒れたとき、なんとか部屋からはい出ることができた病人は、「お助け病院」と呼ばれる生活保護の患者でも喜んで受け入れる病院に送られます。

しかし、なかには多くの病院や療養施設を転々とたらいまわしにされた挙げ句、施設の生活指導員などから「もうそちら以外には頼めない」と「きぼうのいえ」に運び込まれてくるケースもあるとのことでした。

「最初はね、『客を取るのか!』って、どやからはすごく警戒されたんです」

その誤解はすぐに解けました。どやでは看きれない人がたくさんいることは、動かしようのない事実だったのです。しばらくすると、逆にどやの方から頼まれるようにして入居者が紹介されてくるケースも出てくるようになりました。

屋上に当る4階には、もう一つ、大切な場所があります。礼拝堂です。

小さな礼拝堂には、祈祷台が二つだけ並んでいました。その奥に、小さな金色の十字架と二本の燭台が置かれた祭壇が据えられ、チョコレート色の質実とした板壁を背に、キリスト像が掲げられています。祭壇に向かって右手には大きな窓が設けてあり、レースのカーテンを通りぬけた柔らかな光が、左手のエルグレコの絵を静かに浮かび上がらせていました。

「この礼拝堂には結構かかっちゃいました。寄付を頂いた聖公会からも怒られちゃいました」

お金の面だけでなく、福祉施設としての公的な認可を受ける際にも、礼拝堂はネックになったそうです。それでも、この礼拝堂は、「きぼうのいえ」になくてはならないものでした。

「象徴的なものが何かしらないと、何も伝わらないんです。この礼拝堂は、インパクトをもたらす存在。『先行投資』とでもいいましょうか……」

山本さんはまた笑います。この礼拝堂では、毎月、日本聖公会の司祭が施設のチャプレンとして聖餐式を行っているそうです。

小さいながらも雰囲気のある部屋に見入っていると、エルグレコの絵の下に経文らしきものが書かれた色紙が立てかけてあるのに気づきました。興味を覚えてお尋ねしたところ、この礼拝堂では、浄土宗の僧侶が、夏の施餓鬼供養をはじめとして、折に触れて読経や法話をされる、とのこと。和紙に黒々と書かれた経文は、礼拝堂の雰囲気に不思議としっくりと馴染んでいました。

「目指しているのは『宗教のバリアフリー』です」

山本さんの言葉が、すっ、と胸に落ちます。

[写真:礼拝堂]
屋上に設けられた礼拝堂

山本さんは、「きぼうのいえ」の目標を話すとき、「マザー・テレサがカルカッタに創った『死を待つ人のいえ』の日本版」と比喩することがあります。本当の意味でアイデンティティを出しあい、ぶつかることを通じて理解しあう。そのときには、宗教や信仰に関することがらは、避けては通れないものになります。

山本さんは、自称、「形だけのカトリック」。その美点を、「大きなスピリチュアリティ」を認める多神教的なものの見方にこそあると考えるのは、確かにちょっと変わったカトリック信仰のかたちなのかもしれません。

入居者にカトリックの人がいるわけではありません。ただ、場合によっては、亡くなる直前、洗礼を受けて頂くこともあるそうです。そのとき山本さんは、カトリックという特定の宗教への入信儀礼ということではなく、世のしがらみからの魂の解放として、お勧めするそうです。

礼拝堂の入り口の両脇には、落ち着いた色の木の棚がありました。房飾りのついた綺麗な純白の錦に四角い箱のようなものが包まれて、整然と並んでいます。それは「きぼうのいえ」で亡くなり、まだ引き取り手のない方々の骨壷でした。

「最初は賛美歌の本でも入れようとしたんですよ。そしたら、お骨が事務所に入れきれないので、もって来たら、スーッと、あつらえたように入ったんです。不思議なこともあるもんだなぁ、と……」

階段で3階に降り、談話室を見学しました。『タバコはこちらでお吸いになって下さい』という張り紙が目に飛び込んできます。ちょうど新聞を読みながらくつろいでいた入居者の方と視線が合って、軽く会釈を交わしました。

談話室では、さまざまなサービスが受けられます。火曜日には、気を使用するマッサージ。木曜日の2時から4時半まで、ボランティアを中心とするティーサービスが行われています。木曜日か金曜日のいずれかには、リフレクソロジーを受けることもできます。

また、世界で50人しかいないという「ミュージックサナトロジー」の実践家も、ボランティアに来るそうです。音楽を介して死にゆく方と対面するミュージックサナトロジーは、まさに一期一会の真剣勝負となるとのこと。

「きぼうのいえ」では季節の行事もたくさん実施されます。春はお花見に始まり、浅草の有名なほおづき祭があり、七夕には短冊に願いごとを書きます。夏の花火大会は、屋上から隅田川の豪快な打ち上げ花火を見ながら、玄関先の道端でも手持ちの花火を楽しむそうです。

「でも、『お誕生日会』のようなことは、皆さん嫌うんです。『心にもないことで、祝ってくれるな』って。そのわりに、個別にプレゼントしたりすると喜ぶ。皆でおざなりにやってもダメですね」

レールに載せて、きれいにことを運ぶのは、山本さん自身も好きではないそうです。

談話室のすぐそばにはリネン室があります。「きぼうのいえ」のリネン室には、病院と同じ、専門業者が入っています。週に一度、清潔なシーツが入るベッドは、ノミやダニのついたどやのそれとは比べ物になりません。

 3階には、入居者の個室もあります。
それぞれの部屋の入り口には、分厚い表札がかかっています。なんと一枚、7,500円もするそうです。
「痛い出費なんですが、この名札は、『いつまでもいていいんですよ』という気持ちの表明なんです」
と、山本さん。立派な表札には「へや」を「いえ」にする不思議な力が確かに感じられました。

ちょうど空いているお部屋があったので、なかを見学させて頂くこともできました。

「なんとか全室、個室で……」

集団生活が得意でない方が多いこともあり、山本さんは当初からそう考えていました。本当は一部屋6 畳くらいにしたかったそうですが、経済的に4.7畳という今のサイズがぎりぎりのところだったそうです。それでも、10畳の相部屋よりは、はるかにましなのかもしれません。いわゆる社会的入院で、3か月おきに病院を変わりながら、8人部屋を2年間、転々とした方は、「きぼうのいえ」に入居した当初、それまでの病院生活は「でっかいトイレにいたようだった」とお話しになったそうです。いくらカーテンで視線を防いでも、15分おきに部屋の誰かが排泄をする、その臭いまで仕切ることはできません。

[写真:個室風景]
入居者の「いえ」の風景

部屋のなかには、ベッド、冷蔵庫、エアコン。すっきりしたクローゼットと棚もありますが、物をたくさん持ち込む入居者は少ないそうです。もう一つ重要なのは、テレビデオ。ビデオはオフィスのライブラリから自由に借りられますが、少しでも地域に顔を向けられるよう、レンタルビデオ屋さんに行くこともお勧めしているそうです。なかにはアダルトビデオを借りてきた入居者もいました。がんの末期で、ドアさえ外していた方だったのですが、「いいのかなぁ」と思いつつ、黙認したとのこと……。模索は続きます。

ベッドサイドのナースコールは、呼ぶだけでなく、話すこともできるようになっています。取りこぼしがないように、連絡は複数の場所に届きます。

この部屋で、どのくらい暮らすか、その長さは人によって様々です。200日以上暮らしている方もいれば、入居したその翌日に亡くなった方もいます。入居金はゼロです。

「ナーバスで、ストレスをためやすくって、独居困難で、それでも病院はダメ。そんな人が、実は『きぼうのいえ』に向いているんです。」

洗面台は各個室にありますが、トイレは共同です。共同トイレは車椅子でも自由に出入りできるよう、広々とした設計になっていました。出入り口の脇には、手の消毒用のアルコールが載った台が据えつけてあり、衛生面にも配慮されています。ところが、たった一つだけ、失敗してしまったことが。

「ウォシュレットをつけてしまったんですよ。使い方はそりゃあ分かりませんよね。便器の前に立って、ジーっと考えこんでから『洗濯機?』なんて言ったりして」

山本さんは笑います。『トイレ』という言葉も、人によっては通じず、『お便所』と言いかえるそうです。言葉づかいや生活習慣のなかにふっと見つかるこんな違いにどう対処するか、そんなことにもスタッフは心をくだきます。

3階で見学させて頂いたもう一つの大切な場所は、厨房でした。案内して頂いたときには、清潔な白衣に身を包んだ数名の女性が忙しそうに昼食の準備をしていました。

「きぼうのいえ」では、朝、昼、晩、きちんと三度の食事が出されます。一度の食事は25食ほど。温かいものは温かいうちに出したい、という気持ちがあるので、食事時には目が回るような忙しさになります。

食事の内容は様々です。糖尿病や腎疾患をかかえる入居者のために、カロリーはもとより、塩分、水分、カリウムなど、きちんとコントロールされた食事も作られます。咀嚼力の弱った方向けには刻み食を用意し、おかゆも五分、三分と細かく調整されています。

「きぼうのいえ」の予算のうち、調理部門が占める経費は、かなり高い割合になります。

調理スタッフに見学のお礼を言って階段に向かおうとすると、すれちがったホームヘルパーの男性から明るい挨拶を頂きました。

リネンの準備から、食事の調理、介護サービスのかなりの部分まで、「きぼうのいえ」にはたくさんの外部の専門サービスが入っていて、その数はなんと11社にものぼるそうです。ちなみに、専属スタッフは山本さんを含めてたったの5人。

こんなことができるのは、「きぼうのいえ」が、文字通り、「いえ」に他ならないからです。つまり、介護保険を使って、居宅を対象とするサービスを活用することができるのです。もちろん、「法制度上は『第二種事業施設』、でもなかは『居宅』」という言い分を認めてもらうために、区との間で長く大変な話しあいがあったそうです。

階段を降りた2階には、食堂があります。厨房から運ばれた料理をここで食べるとき、ごはんと味噌汁はもう一度温めなおされます。

「きぼうのいえ」では、朝食8時、昼食12時、夕食18時。食堂に一度に入れるのは12人ほどなので、第二便を最初の配膳から30分遅れで出します。

視力が落ちたりして、食卓の様子がよく分からない方には、一人ひとり、「これが何々ですよ」とお伝えします。

「食事の内容を調整したり、細かい気配りが行き届くのは、入居者が30人くらいだというのがポイントなんだと思います。もちろん、名前と顔が完全に一致してないと、できませんから」

融通のきく、アットホームな感覚のサービスは「きぼうのいえ」の自慢です。

食事の介助が必要な方には、部屋出しをして、訪問看護師、ホームヘルパー、施設のスタッフがお手伝いにあたります。いまのところ、お手伝いする方の数は3、4人ほど。しかし、施設の人手を考えると、要介護度が高い方にこれ以上たくさん入居していただくことは、残念ながら難しいのが現実だそうです。

再び1階に戻ってきました。1階には、診察室があります。

「きぼうのいえ」は、小規模・多機能をまさに地で行く施設。往診、訪問看護、訪問介護、すべて受けられます。でもそれは、趣旨に賛同し、協力してくれる人がいるからこそ、実現できること。なかでも、24時間往診してあげますよ、と約束してくださる医師がいることは、本当に心強い助けになっています。

「川越先生がそんな有名な人だったとは知らなかったんですよ」

「きぼうのいえ」を創るとき、山本さんは「国境なき医師団」に籍をおく知人に在宅ホスピス医の紹介を相談しました。かなり強引にお願いしたあげく、「アポなしで行って」話をしたのが、川越先生との出会いだったそうです。川越先生は「君のやろうとしていることは、老人ホームでもないし、うーん……。本当にできるのかなぁ」と、ちょっと戸惑い気味。しばらくして、山本さんが「できました」と報告したのが、在宅ホスピス対応型集合住宅、「きぼうのいえ」でした。

「終末期のペインコントロールは難しくて、施設ホスピスでものたうちまわるような場面があると聞きます。川越さんはほんとに名人。何もしないようで、取れてる。口から便をもどしていたような患者さんでも、治ったんです。肺がんの息苦しさも、飲み薬でコントロールできてます」

訪問看護ステーションについては、3社のナースが出入りしています。訪問看護師が十分な知識を持っていれば、あとは介護力で対応できるそうです。
「全然、大丈夫です。昔はみんな、家で死んでたんだから」
とは山本さんの談。

薬は、医師が作成した処方箋をファックスで調剤薬局に送ると、薬局の方から直接配達があり、そのときにオリジナルの処方箋が回収されます。届けられた薬は、夕方のボランティアが入居者一人ひとりの薬箱に分けます。大切なのは、スタッフの目の前で服薬して頂くこと。そうしないと、薬をなかなか飲んでもらえないそうです。

診察室の診療台は、夜勤のボランティアが寝るベッドでもあります。

「きぼうのいえ」の夜勤の大切な役目は、ナースコールのチェック。トイレを汚してしまった、お布団でしてしまった、急にめまいがして倒れてしまった等々、ハプニングは絶えません。それでも、全介助の方がいないので、夜のおむつ交換が不要なことは、とても助かっているそうです。

もう一つ大切な任務は徘徊の予防です。玄関では、痴呆の方が出て行かないよう、連続240時間録画できるビデオを回しています。

「きぼうのいえ」の入居者は、もともとあまり協調性豊かと言えない方が多いそうですが、「痴呆の症状が現れると、時としてたいへんな状況になります」。

スタッフに対して向かってくるときは、まだよいそうです。問題は入居者の間で衝突が起きたとき。

抗がん剤治療をして、髪が抜けた人が帽子をかぶっていました。別の、少し痴呆の症状が現れてきた入居者がそれを見とがめて、「あなた!失礼ね!」と怒鳴ったそうです。

医師には当初から、「ホスピスをメインにやるんなら、精神疾患と痴呆の方にはご遠慮願った方がよいのではないでしょうか」と言われました。しかし、山本さんは割り切れなかったそうです。現在も、最初から精神疾患が明らかな方以外は、受け入れています。

「きぼうのいえ」では、2004年2月までに、5人の方を看取ってきました。

不思議と、「死にたくない」という人はいなかったそうです。

「言葉としては出さないペインは、あるんでしょうね。でもその半面、家族、財産、そういう手放したくなかったものは、相当前から手放してるんです」
その一方で、感謝を受けたこともまた、ありません。利用者の方々は、ただ、たんたんと、亡くなっていきました。

施設を見学させて頂いたあと、もう一度2階の食堂に通して頂きました。お茶を頂きながら、山本さんと奥様で看護師の美恵さん、スタッフのお二方から、「きぼうのいえ」のケアの姿勢についてお話を伺いました。

「一般の施設には、技術があります。『きぼうのいえ』は、人間で勝負してます。大切なのは、『病気』ではなく、病を患う『人』として、相手をきちんと受けとめること。『ホスピス・マインド』です」

評価せず、寄りそうことを大事に考える一方で、山本さんは、傾聴の基本とされる「オウム返し」があまり好きではないそうです。人間として、ぶつかり合うべきときには、ぶつかり合うことも大切、と考えるからです。

入居者とそんな風に向き合えば、ときには深く傷つけられることもあります。山本さんからすれば「入れ込みすぎ」に見える美恵さんに、姑のように辛く当たる女性入居者もいます。専門職と入居者、という関係を離れて、人生の経験だけで勝負すれば、相手の方が二枚も三枚も上の部分が出てきます。美恵さんは、なんとか割り切って笑おうとします。でも、体が反応してしまう。鳥肌が立ち、涙が出そうになることもあるそうです。

摩擦や衝突がある一方で、入居者の中には、自分の人生を投げているかのような方もいます。

「そういった方には、なんとか、自分の人生に責任を持ってほしいんです、自分の人生を、充実して生きるための責任を」

失敗は、決して嫌なものではなく、学び、成長するための足がかりになります。

「それでも、ダメなこともあります。でも、それをひっくるめて、『あなたはあなたとして大切なんですよ』というメッセージをいかに伝えるか。それをいつも考えます」

人間は最期の瞬間まで成長できる、それが山本さんの信念です。「スピリチュアル・グロース」(霊的成長)という言葉を出してから、山本さんは、ついつい言ってしまうのが自分の悪いクセ、と照れ笑いをされました。

[写真:「きぼうのいえ」]のみなさん
中央が施設長の山本雅基さん。その左隣は奥様の美恵さん。

スタッフもまた、入居者から実に多くのことを学んでいます。

山本さん夫妻は、驚くことに、実質無給で働いているそうです。他のスタッフも、決して高給取りではありません。それにもかかわらず、周囲からは、「金もうけでやってんだろ?」という心ない声が寄せられたりすることもあります。

利用者のなかには、びっくりするようなことをしでかす人もいます。施設の電子レンジを売り払ってしまった人もいました。

それでも、「きぼうのいえ」のスタッフが献身的なケアを続けられるのは、入居者との出会いの中から、お金ではない「大切な何か」をたくさんもらっているからです。

「きぼうのいえ」という施設名は、アシジの聖フランシスコの<平和を求める祈り>の句に由来します。この名前には、今の命を生きる「きぼう」だけではなく、その地平を越えた、次の存在に向けられた「きぼう」も重ねられています。

平和を求める祈り
神よ、私をあなたの平和の使いにして下さい。
私が、惜しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
いさかいのあるところに、ゆるしを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、喜びを
闇のあるところに、光をもたらすことができますように助け、導いてください。
神よ、私に、慰められるよりは、慰めることを
理解されるよりは、理解することを
愛されるよりは、愛することを望ませてください。
自分を捨てて始めて自分を見出し、ゆるしてこそゆるされ、
死ぬことによってのみ、永遠の生命によみがえることを深く悟らせてください。
アシジの聖フランシスコ

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